森のなかにミツマタが美しく咲いた頃、岡山県西粟倉村を訪ねました。
周辺の村の小学校では入学者ゼロが続く中、人口は減っても子どもが増えているという、未来に希望のわく小さな村です。過疎化が加速すると思われていたこの場所で、13年前に撒かれた種がゆっくりと成長し、美しい花を咲かせ始めました。
数字にとらわれず、人と雇用を丁寧に結び付けながら、時間と手を掛けて育ってきた数々のプロジェクトは、今また次の段階に進もうとしています。人口約1400人、面積の約95%が森林という小さな村の小さな積み重ねが生んだ変化とは。西粟倉村創生の中心メンバーの一人、「西粟倉 森の学校」代表の牧大介さんにお話を伺いました。
牧 大介
『エーゼロ』代表取締役、『西粟倉・森の学校』代表取締役。京都府出身。 京都大学大学院(森林生態学研究室)修了後、民間シンクタンクを経て、2005 年『アミタ持続可能経済研究所』設立に参画し、所長に就任。 FSC 認証制度を活用した林業経営改善をはじめ、農山漁村での新規事業を多数プロデュース
森から価値を生んで、持続可能な地域を目指す
──本日は宜しくお願いします。早速ですが、西粟倉村に来たきっかけから教えてください。
「環境系の事業を展開していた企業に転職して、シンクタンク部門の責任者として働いていたのですが、その会社と西粟倉村にもともと関係があったので、2006年頃から西粟倉村に携るようになりました。自治体や企業のコンサルをしていくなかで、当時は新しい事業を立ち上げる時の雇われプロデューサーとして村に入ることが多く、西粟倉村もそのなかのひとつでした」
──当時、西粟倉村が抱えていたのはどんな課題だったのですか?
「最初に来たときに感じた課題は、宿のご飯美味しくないということ(笑)。地域の宴会需要を吸収しているからか、まぐろの刺身が出てくるのですが、外から来た人間にしてみれば、その土地のものが食べられる楽しみがないんですよね。あまり言うと怒られそうだけど、モチベーションが上がる出張先ではありませんでした。でも、西粟倉村特有の課題があるとは思いませんでしたね。過疎化や高齢化が進んでいるとか、仕事が減っていくとか、雇用が新しく生まれないとか、それは日本中どこも一緒です」
──その頃から今まで続いているプロジェクトの一連の流れがあると思いますが、起点となった出来事は何だったんですか?
「2006年に『木の里工房 木薫』という、この村のローカルベンチャー第一号と呼ばれる会社ができたことがきっかけです。その新しいチャレンジのために、人材の確保や採用、育成を応援する仕組みを整えようということで、地域の雇用創生活動を補助してくれる国の制度を活用して、2007年に雇用対策協議会が立ち上がりました」
──そこでは牧さんはどのような提案をされたのですか?
「今でいう地域商社、木材のマーケティング組織を作りましょうと。当時、人事とマーケティングの機能を、地域がどのように持てるのかという問題意識があったので、他の地域にも提案はしてはいたのですが、じゃあ実際にやってみようという自治体は他にはなくて。でも、西粟倉村はノリがよかったというか(笑)、規模が小さいこともありますが、役場に前向きな方がいて、村長も理解のある方だったので、その話が前に進んでいきました」
──具体的にはどのようなことが行われていったのでしょうか?
「インターンシップや採用のコーディネートなど、村の人事部機能を作るところからスタートしました。でも、人事だけをやっても儲からないし、自立もできないので、同時に地域で新しい商品を生み出して販売していく地域商社のようなものを立ち上げようと。同時に、この村は本気だぞ、という真剣な姿勢を見せないと人は集まらないだろうという話から、生態系の起点となる森から価値を生んで、持続可能な地域を目指していく『百年の森林構想』という宣言を村役場が掲げました」
──その地域商社が『西粟倉 森の学校』ということですよね? その代表もされているということですが。
「木材流通のハブになるような会社をつくるにあたって、最初は経営者を探したかったんですけど、見つからなくて。結局、プロデューサーがそのまま経営までやらせていただく流れになった感じですね。雇用対策協議会の補助金は3年で終わることが決まっていたので、それを引き継いでいく民間組織として『西粟倉 森の学校』を立ち上げることになりました。もともと、人づくり、採用育成がベースにあったので、『森の学校』という名前をつけたんです」
資源と人を活用することで 自然と答えが見えていく
──「木材流通のハブになるような会社」というお話でしたが、事業としてはどのように進めていったのですか?
「僕の事業の作り方は結構シンプルで、作れるものを作っていく、ないものを作っていくことを積み重ねていくと、そこからさらにいろいろなものが生まれていくという考え方です。例えば、木材加工の事業を始めると、その過程で木屑やゴミが出てきますよね。商品が売れれば売れるほど、出てくるゴミも増えていくので、じゃあそれを燃料にしてウナギの養殖を始めましょうと連鎖的に広がっていきます。すると結果的に無駄なものがなくなって、資源が循環していくという考えです。鹿の肉を流通させる事業も、年間300頭くらいを処理してコンスタントに売れるようになってきたので、今度はずっと捨てていた骨や内臓を使ってドッグフードを作るプロジェクトを進めています」
──ひとつひとつのプロジェクトが単体で存在するのではなく、新たに生まれたものを活用しながら派生させていくと。
「人材も同じような考え方で、お子さんがいて働きたいけどなかなか働けないという人も多かったので、働ける道を工夫して切り開くというか、人に合わせて運営していくような考えです。活用できていない人材や資源に着目してビジネスを組み立てるという作業を積み重ねることで、仕事もだんだんと広がっていきました」