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「農作業着・たつけを蘇らせた石徹白洋品店が考える、地域に根ざしたのものづくり」||平野馨生里 /石徹白洋品店店主

2022.09.11|コラム

岐阜と福井の県境にある小さな集落・石徹白。白山の麓にある豊かな風土に魅了されて移住し、農作業着・たつけを復活させたのが平野馨生里さんです。

この地に育つ植物の色に染め、自然の恵みを纏う。服を作るという行為を根本から見つめ直し、石徹白らしいプロセスに昇華していく。それは大量生産・大量消費から遠く離れた場所にある“地に足がついた”営み。

「服を通して石徹白の文化をつなぎたい」と語る馨生里さんが考えるものづくりとは。

 

Profile
平野馨生里

平野馨生里

岐阜県岐阜市生まれ。石徹白洋品店店主。岐阜の山奥の集落「石徹白」に2011年に移住し、地域に伝わる農作業ズボンをリデザインした商品を制作・販売している。植物を育てたり採取するところから藍染・草木染めも行っている。服作りに加えて、地域のお年寄りに話を聞く「聞き書き」の活動や、民話絵本の制作なども実施している。

URL(石徹白洋品店):https://itoshiro.org/

 

 

石徹白でときめく服を作る

 

石徹白洋品店はこの地に古くから伝わる衣からインスピレーションを得て、服を中心としたものづくりに取り組んでいます。店に並ぶのはニュアンスカラーのシャツやワンピース、ズボン。凛とした佇まいとやさしい風合いが印象的です。

 

──石徹白洋品店の服を初めて見たのですが、素敵な服ばかりでときめきます。特に色がすごくかわいくて。

 

「ふふふ、ありがとうございます。石徹白の草花を使って染めるのでやさしい色になるんです。たとえばこちらのストールはいちご大福屋さんがあずきを煮た時に出た煮汁を分けてもらって染めました(笑)」

──あずきからこんなに柔らかい色が出るんですね。なんだかわくわくします。

 

「ときめく服を作ろうと心がけているので、そう言ってもらえてうれしいです。デザインも染めの色も『あ、これいい!』ってピンと思えるものをお届けしようといつも考えているんです」

 

──感覚を大事にしているんですね。

 

「染めた結果、何色になるかは割と二の次で。ピンクでも黄色でもいい。それより『この植物の一番いい色が出たね』って腑に落ちることを大事にしています」

──しかも昔の作業着とは思えないくらい今っぽくて驚きました。

 

「色や形を現代のライフスタイルに馴染むようにデザインしています。今、求められるものを作るのに加えて、伝統に則った考え方をぶらさないことを常に意識しています。そうじゃないと続いていかないから」

 

 


消えゆくものを未来につなぎたい

おだやかな語り口の中に垣間見える強い信念。馨生里さんが石徹白に移り住み、石徹白洋品店を営んでいるのは、大学時代に毎年通ったカンボジアの「クメール伝統織物研究所」の存在が大きいそう。

 

「出身は岐阜市です。大学進学と同時に上京し、国際協力に興味があったのでカンボジアに通いはじめました。その時期に京都の友禅職人・森本喜久男さんの著書『メコンにまかせ』を読んだのがターニングポイントです」

──どんな内容が書いてありましたか?

 

「カンボジア内戦で消えつつあった絹織物を昔、織物をしていたおばあちゃんと共に復活させる様子が描かれていました。土地を買い、小屋を建て、原料となる桑や綿花を栽培し、草木染の素材となる木々を植え、自給的な染織ができる村を作っていたんです。現地の文化を尊敬し寄り添う森本さんに共感してカンボジアまで会いに行きました」

 

──それはすごい行動力ですね。足を運んで何を感じましたか?

 

「普通のおばあちゃんが誇りを持って機織りをする姿に胸を打たれました。生活している人も幸せそうで。紡ぎ出される織糸や布も本当に美しかったです」

「私、織り手のおばあちゃんの言葉が今でも忘れられなくて」

 

──忘れられない言葉。

 

「『織物は自分と同一で切り離せないくらい大事。本当に誇りなの』。真っ直ぐな瞳でそう言われたんです。心底かっこいいと思ったと同時に、自分にそう言い切れるものが見当たりませんでした。だから私もそこまで情熱を注げるものを見つけたいと強く思ったんです」

 

「当時は岐阜に対する愛情どころか劣等感が強かった」と語る馨生里さんですが、自身を深く見つめるべくあえて故郷に目を向けました。就職活動中に岐阜の町おこし団体と出会い、東京と岐阜を行き来する中で消滅危機に瀕していた伝統工芸・水うちわと出会います。

 

「はじめて水うちわを目にした時、こんなに美しく繊細なものが岐阜にあったのかと感動しました。原料の雁皮紙を美濃で生産できる環境を整え、工場にかけあって材料を調合してもらって。結果、色々な方の協力で復活できたんです」

 

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Credit
Photo&Text_Nao tadachi