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サスティナビリティの先端、徳島県・上勝町が ゼロウェイスト宣言の先にみる未来 || 東 輝実/カフェ・ポールスター店主

2022.09.19|コラム

「ゼロ・ウェイスト宣言」を掲げ、サステナビリティの拠点として大きな注目を集めてきた徳島県上勝町。宣言をしてから月日は流れ、去年末、2030年に向けて新たな「ゼロ・ウェイスト宣言」を行い、さらなる展開を迎えていると聞きます。上勝で生まれ、上勝で育ち、一度離れてまた上勝に戻ってきたUターン組の東さんは、今ではカフェ・ポールスターを運営する傍ら、INOWプログラムを推進し、ゼロ・ウェイストアカデミーの理事としても活動を行う日々。穏やかな自然に囲まれ、ゆったりとした時間が流れるなかで、上勝に起きている変化とは何か。新たな上勝の課題と、これからの希望についてお話を伺いました。

 

Profile
東 輝実

東 輝実

『カフェ・ポールスター』店主。徳島県上勝町出身。関西学院大学総合政策学部在学中よりルーマニアの環境NGOや、東京での地域のアンテナショップ企画のインターンを経験。2013年「五感で上勝町を感じられる場所」をコンセプトに「カフェ・ポールスター」をオープン。2020年、上勝町滞在型トランスフォーマティブラーニング「INOW(イノウ)プログラム」をにスタートさせ共同創業者として運営している。

URL : https://cafepolestar.com/

 


可能性を形にしてきた

小さな町に訪れている変化

 


──一度上勝を離れていたそうですが、上勝に戻ってきた理由はなんでしょう?

 

「私は中学3年生の時から、将来は上勝でかっこいい仕事をしながら子育てをすると決めていました。その目標を追いかけるように高校、大学に通い、大学3年生の時にインターンで2ヶ月間ルーマニアに行ったのですが、その時、時間の流れのような概念が全て吹っ飛んでしまったんです。人生は長いんだから、どういう選択肢を選んでもいいんじゃないかと思えるようになって、1年間休学して東京でインターンとして働くようになりました。最初から東京に出たいという考えはベースになかったのですが、東京で暮らしたこともない人間が、東京という街を勝手に判断するのは違うだろうと思って。実際、東京の刺激はたくさんありましたし、魅力的な人もたくさんいて、面白く感じてはいたのですが、それと同時に上勝の人口は日に日に減っていきました。新卒の切符は今しか使えないとか、企業で研修を受けてから帰る方法もあるというお話も伺ったのですが、私が今帰らずに、上勝がなくなってしまったら後悔するんじゃないかと思って、復学しながら上勝に戻り、月に一回くらいキャンパスに通うような生活をしていました」

 

──その時点での上勝の課題はどのようなものだと感じていましたか?

 

「ゼロ・ウェイスト活動が始まったり、『いろどり』という葉っぱビジネスが生まれたりと、この20年、小さな村で新しいものを生み出しながら、それをいかに続けて、新たな可能性を見出すかということを続けてきたのですが、じゃあ、その次はどんな未来を描けばいいんだろうということは誰も議論していなかったんですね。ちょうどその頃から、循環型社会とか、持続可能性といった言葉が使われていくようになる中で、上勝自体の持続可能性を考えた時に、ただゴミをなくすことだけを目的にするのは違うだろうということも見えてきていました。ただ、それについて考えて話せるコミュニティが上勝にはないのではないかということが、一番の問題に感じていました」

 

──外から見ていると、サステナビリティのトップランナーのように見えていました。

 

「私も高校から7年くらいは、お盆とお正月くらいしか上勝に帰っていなかったので、上勝の中で何が起こったのかわかりませんでしたが、復学して上勝に帰った時、今までとは何かが違って、みんなが少しずつ希望を失いかけているような雰囲気を感じました。15年ほどで人口が2000人から1500人へと減っていくなかで、社会システムもどんどん収縮していって。町営バスの本数が減ったり、ガソリンスタンドがなくなったり、つい最近も郵便局の集荷所がひとつなくなりました。目に見えて限界だと示されていくと、ここで暮らしていく人達は諦めて受け入れるという、廃村の方向に向かっていくように思えたのですが、でも本当にダメなのか、もうできることはないのかと考えていました」

 

 

課題について考えて話せる
未来に向けたサロン作り

 



──その状態において、新たな動きは何かあったのですか?

 

「私の母親は、ゼロ・ウェイストという文脈の中でも、この地域の中でいかにエネルギーを供給するかという方向に向いていました。小水力の実証実験をやったり、ソーラーの補助金制度を作ったり、そのような形で動いていく中で、ゼロ・ウェイストの概念も自分の中でどんどん変わっていったんです。ただ、実際に動く主体の数は多くはありませんでした。上勝はいい意味でも悪い意味でも有名になったので、補助金は取りやすいですし、助成金も通りやすいのですが、でもやはり次にどんな上勝を作っていくかという未来を描いていないことは大きな課題でした」

 

──先ほど、その課題について話し合えるコミュニティがないというお話がありましたが、その一環としてこのカフェを作られたということですか?

 

「私の母親が、ずっと上勝にサロンを作りたいと言っていたんです。気軽に来て、人と人が会話をして、情報や知識を交換し合える場所を作りたいと。でも、それが公共性を帯びてしまうと違った意味を持つ場所になってしまうから、母は“サロン”を作りたいと言っていたんです。その思いも汲んで、母が亡くなった後、2013年にこのカフェをオープンしました。上勝のショールームということをコンセプトに置いて、ランチの箸置きに葉っぱを使ったり、おしぼりを出さなかったり、小さなことではあるのですが、私たちが感じる上勝らしいものや感じて欲しい季節を表現しています。この街だからできる空間を作るということがひとつ、そして、そもそも美味しいコーヒーが飲めて、人と30分以上話せる場所というものは豊かな人生には必要なんじゃないかということがひとつ。それは母も私も考えていたことでした」

 

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Credit
Photo_MURAKEN
Text_Aya Fujiwara