LATEST

福岡の離島・能古島から、循環するまちづくりの未来を考える || 水谷元 / 建築家

2022.10.25|コラム

福岡県に能古島という離島があるのをご存知だろうか。博多湾に浮かぶ、人口約700人の小さな島。姪浜渡船場からフェリーで約10分。博多や天神からのアクセスも良く、福岡の中心地から1時間もかからずに辿り着ける自然豊かな集落のある行楽地である。その能古島に自宅兼事務所を構え、福岡の街を俯瞰しながら、独自の視点で幅広く活動する建築家がいる。水谷元さんは神戸に生まれ、能古島に育ち、都市と自然を軽やかに行き来しながら、建築設計やまちづくりを行っている。その水谷さんの建築への考え方や能古島という独特の島が持つ魅力、そしてこれからのまちづくりへの提案など、幅広く話を伺った。

 

 

Profile
水谷 元 

水谷 元 

1981年兵庫県神戸市生まれ/福岡県福岡市の能古島育ち/九州産業大学にて森岡侑士に師事し、2004年に中退/2011年にatelier HUGE設立、2022年に水谷元建築都市設計室に改名/著書に『現在知 Vol.1 郊外その危機と再生』(共著:NHK出版)、『地方で建築を仕事にする』(共著:学芸出版)、臨海住宅地の誕生(編集協力:新建築社)、日本建築学会2018年-2019年建築雑誌編集委員、九州大学工学部建築学科2020年前期非常勤講師

URL: https://www.atelierhuge.jp/

 

仕事をするなら、能古島が面白い

 

──能古島に住むことになった経緯を教えてください。

 

「私の父、水谷穎介は建築家・都市計画家として活動していました。私が生まれた頃は神戸を拠点に湾岸地域の都市計画を行っていたんです。当時の日本の湾岸は主に重工業地帯だったのですが、オイルショック以後、転換期を迎えていました。神戸市は今までと違った、当時では最先端の市民に開かれた市街地整備を行っており、その計画に携わっていたのが父でした。そこで福岡市からも白羽の矢が当たったのです」

 

「福岡市は隣にある北九州市が重工業都市として栄えていたはずが、オイルショックで大打撃を受けてしまったことに学び、自分たちは商業の街として流通の拠点になるべく、大きく舵を切ることにしたのです。それをきっかけに父は頻繁に福岡へ通うようになりました。父が都市計画を行った博多湾のウォーターフロント「シーサイドももち」の対岸にあるのが能古島です。福岡で知り合った建築家が能古島に別荘を持っていたこともあり、父も島へ通ううちに気に入って、この島で子育てをしたいと移住することになったんです」

──建築家になったのはお父様の影響が大きいのですか?

 

「子供の頃は父の建築事務所にもよく遊びに行っていました。父のデスクの周りには、いつも建築模型やスケッチ画がたくさんあって、子供の目からみると、すごく楽しそうだった。仕事なんだけれど、まるで遊んでいるように見えたんですね。大人が遊びながらちゃんとお金をもらっているなんてすごいな、こんな大人っていいな、と感じていたことが、建築家になりたいと思った最初のきっかけです」

──島での暮らしとは実際にどのような感じですか?

 

「島といっても船で何時間もかかるような本格的な離島ではありませんので、市街地のライフスタイルをあまり変えずに暮らせることが、この島の最大の魅力です」


──島と市街地の距離感が絶妙ですね。

 

「市街地から近いけれど、橋はかかっていなくて、フェリーに乗らないといけない。対岸に市街地を眺めながら、適度な距離を保っている。そこに建築家としての物事の捉え方の重要な部分を感じています。物理的に距離を置くことによる客観性、のような。そこに対して意識的になれることが重要だと思っています。幼少期から島と神戸を行き来する生活をしていたので、市街地のような人が密集して生活することの良さも理解しているつもりです。でもここは田舎と都市の両方の魅力を得られる。実際に島民はフェリーに乗って市街地に通勤している人も多いです。逆に子供は市街地から島の学校に通うのが最近は人気です。フェリーは、昼間は1時間に一本、朝と夕方は30分に一本ですが、暮らしのリズムに慣れてしまえばそれほどストレスは感じません」

──福岡市内ではなく、能古島に拠点を置くことに魅力を感じているのですか?

 

「私自身がこの島をすごく面白いと思っているんです。昔だったら考えられなかったかもしれないですが、今の時代はインターネットがあるから、比較的場所を選ばずどこでも仕事ができる。自分ならどこで仕事をするかって考えたら、能古島が一番面白いですよ。それで日本中、もしくは世界中のクライアントが、興味を持ってこの島に会いに来てくれるっていうシチュエーションを作り出せたらいいなと。実際に面白がってわざわざ来てくれる人はたくさんいて、それは本当に豊かなことだと思います。いろんな人が集まってくれれば、能古島はナレッジアイランドになれるんじゃないかと」

──ナレッジアイランドとは?

「場所を選ばず仕事のできる人が増えたことで、今後の日本はITだけではなく、新しい基盤として知識産業に力を入れ、その分野が成長していく時代になっていくのだと思っています。そこで働く人たちはオフィスへは行かず、自由に自分の好きな場所を選んで拠点にしている。個性豊かな人材が集まり、知的な産業・文化が育まれる都市をナレッジシティ(知識創造都市)と言って、福岡市自体もだいぶ前から取り組んでいるようですが、この島はナレッジアイランドになれる素質が十分にあります。私含め、いろんな専門性を持った人がこの島に住み、訪れる、新しい文化を創造していけるような、そういう環境を作れるんじゃないかと思っています」

 

1 2 3
Credit
Photo_Ryo Yoshihashi
Text_Caori Ezawa