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「荒廃し続ける日本の山林。その現状を伝え、循環を守る活動の始まりと、これからの物語 」|| THINNING

2022.09.10|コラム

 

 

■間伐材の活用はみんなの問題


複雑に絡み合う、山の問題。正しい姿へと循環させていくべく、絡まった糸を解きほぐすきっかけとなるのが間伐材ではないかと、林さんたちは考えました。

 

──間伐材がもっと活用されるようになれば、難解な山の問題も少しずつ正しい方向に動いていくとお考えですか?

 

「そうですね。人手不足の中、どうにか人工林を荒廃させないようにと間伐はしていても、コストに見合わないからその場に捨て置く『切り捨て間伐』が多いらしいんです。豪雨災害が起きた際、川から流れてきた木々が橋に引っかかり、天然のダムになった映像を見たことがありませんか? あれは一部の切り捨て間伐が流れ出たものなんです。間伐材の生産性を高め、流通に乗せられればこうした被害も減るはず。

 

本当は『お金がないから』『人がいないから』では済まない話で、自分たちの生活を守るのに山林をどう管理していくのか、しっかり考えないといけません。僕はあまり政治の話はしないようにしてるんだけど、最終的にはそうした話になってしまうのかな。すでに、貴重な税金を注ぎ込んでいますしね。みんなの中で山林を大事に思う気持ちが大きく育てば、その想いを実現しようという政治家も増えるはずです」

 

──大きな問題ですが、まずは一人ひとりの意識から、なんですね。

 

「民意を広げていかないとね。『今、それ抜きに語っていてはダサいでしょ』くらいの雰囲気にしないと。SDGsにしてもサスティナブルにしても、世界全体がそうした視点を持ち始めているのはいい傾向だと思っています。アウトドアブランドもただ製品を売るだけでなく、環境保全や気候変動への取り組みとセットで価値を提供するようになっていますし。どの業界でも、そうした考えが当たり前となる時代に移り始めているフェーズを、今僕らは目撃しているのだと思います」

 

薦田「昔は、もっと山が身近だったと思うんです。しかし今では、家の床や柱を見て、それらの木々が山に生えていた姿を想像できる人は、大人でも多くないのではないでしょうか。しかも、『尾根から谷まで、誰かが汗水たらして数十年前に植えた木なのかもしれない』というふうに考えると、感謝の気持ちであふれてくるんです。キコリが嫌でしかたなかったときもありましたけど(笑)、人の親になった今、山に携わる人達への感謝の気持ちが強まりました。みなさんにも、少しでも山や木のことを好きになってくれたらいいなと思っています」

 

 


■協力者が次々と現れて、イベントの成功を確信した

 

林業のプロでもない自分たちができることとは? 次の世代へとバトンタッチしていく中、大人としてやれることとは? 出た答えは、「より多くの人に現状を伝えること」。この目標を叶える手段として考えたのが、多くの人を集められるマーケット型イベントTHINNINGの開催でした。

 

──まず、来てもらうことが大事と考えたんですね。

 

「『なにか楽しそうだね』で訪れてもらい、トークショーや販売している商品を通じて山林の現状や間伐材の存在についてちょっとでも触れて、『けっこう大変なんだね』と感じてもらう。そういうことをできればいいなって考えたんです。専門家を集めて真面目なトークショーだけをやっても、多分誰も来ないと思うんですよ。

 

それよりはアーティストを呼んでライブしたり、魅力的なマルシェを開いたり、子供を遊ばせるスペースがあって大人はゆっくり買い物できたりという、『楽しい』を軸に据えたほうが絶対に近道だなと思って。『間伐材って言葉、たまに耳にしますけど、どういうものがご存知でしたか?』とやんわり問いかけてみるんです。

 

『初めて間伐材ってなんなのか、わかりました』といってもらえると、本当にありがたい気持ちになるんですよね。そうすれば、ちょっと高くても間伐材の薪を買うようになってくれたりと、そうしたアクションにつながりますから。だから僕たちは、とにかくみんなに足を運んでもらえるような、ワクワクするマーケットを作らなきゃって想いでいるんです」

──記念すべき第1回目は2017年10月に行われましたが、スムーズに開催できました?

 

北古賀「いやぁ、慌ただしかったですよ(笑)。場所の選定も大変でしたし、初めてだから客足の見込みも難しくて。出店者からどれくらい協賛を募ればいいかもわかりませんでした」


そう笑いながら当時のことを話してくれた北古賀さんは、THINNINGの“ご意見番”的存在。文具・雑貨メーカーでセレクトも行うハイタイドに15年勤め、さまざまな企業と取引してきた経験に基づく意見に、メンバーはいつも耳を傾けているとか。「売れるためのモノ作り」に疲れてきたことを理由に独立、糸島で生活雑貨の製造・販売や人気ジェラート店の経営する最中、移住してきた林さんとは、全国の流通や業界で共通経験を持っていることから意気投合したのだそうです。

 

北古賀「注意を促す三角コーンの準備まで、初回はすべてが現金前払いでしたから。もう俺らが出すからって、お金を工面して」

 

「イベントをやるとなるとトイレや駐車場の問題が発生して、警備員を雇わなくてはいけないですからね。どれだけ人がくるかわからないから、初回は出店者からそんなにお金をいただかず……実際は予想以上の来場者を記録しまして、おかげで2回目からは参加費を増額させていただき、さまざまな費用に充てることができました。

 

僕らに賛同してくれる人も増えていったんです。塩や醤油を作っていたり海産物で商売していたりと、糸島で自然の恩恵を受けて商売してる人を中心に、『ぜひ継続するイベントにしてほしい!』と協賛金をくれて。大きな助けとなっています」

 

 

──山の問題云々は抜きにしても、そうした参加型イベントが待ち望まれていた背景もあったのでしょうか。

 

北古賀「林くんも都会から引っ越してきた人間だからよくわかっていて、糸島でもただのお祭りではない、感覚のいいマーケットをできないかなって話し合ったんです。林くんが訴える山林の自然環境のメッセージも伝えつつ、ライブなども組み合わせて、居心地のいい空間をうまく作れているんじゃないかと思っています」

 

「ちょっとハードルが高かったけど、スペシャルなメンバーを集めようってところから始めました。僕がアウトドア業界にいたこともあり、ザ・ノース・フェイス、スノーピーク、古巣のエイアンドエフなど有名どころにダメ元で連絡しましたところ、すごく快く引き受けていただき、嬉しかったのを良く覚えています。

豪華な出店メンバーが集まる速度が早すぎて、すごいミラクルでした。『お客さんが来なくて失敗したらどうしよう』なんて不安もどこかにあったんですけど、そこはビビらず、『手を挙げてくれた人たちでやっちゃおう!』『結果はあとからついてくるでしょう!』という勢いもあって」

 


──どのブランドも、そうした想いを伝える機会を心待ちにしていたんでしょうね。

 

「そうですね。ビジネス一辺倒じゃなくて、『みんなが関わることだから、僕らも協力しなきゃだめでしょ』というノリだったんですよね。すごく勇気をもらいましたし、著名ブランドの参加を取り付けられたことで陶芸作家や木工作家、イラストレーターといった個人の方にも声をかけやすくなりました。想像していた以上の急発進になった感じでしたね」

 

 

 

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Credit
Photo_Kozi Hayakawa
Text_Hiroyuki Yokoyama