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陶芸家/高須健太郎

2022.09.01|コラム

福岡県糸島市ののどかな丘の上、音楽を聴きながらひとり瀬戸の土をこね、ろくろを回す。そこで作られるのは、使う人の心に寄り添うさまざまな食器たち。高須健太郎さんが手掛ける作品は、どこか懐かしく、しかしモダンでもあり、そして何より使いやすい。今のスタイルに落ち着くに至った、さまざまな紆余曲折をご本人に伺った。

 

 

Profile
陶芸家/高須健太郎

陶芸家/高須健太郎

福岡県出身。陶芸家の母の影響で、幼い頃から土と触れ合う。福岡大学卒業後、愛知県瀬戸の訓練校に通い、技術を学ぶ。2004年に工房『醇窯』を作り、試行錯誤を経て2008年に窯開き。その作品は東京のセレクトショップにも並び、全国に多くのファンをもつ。

http://www.junyo-itoshima.com/

 

――もともと福岡で生まれ育ちながら、修行先に瀬戸を選んだ理由は何なのでしょう?

 

「瀬戸にはいろいろな材料があって、それを使ういろいろな作家さんがいたんです。そういう多種多様な側面に惹かれました。有田や唐津はどちらかというと伝統が根づいていて、もちろんそれも素晴らしいのですが、瀬戸は瀬戸焼という伝統もありながら、新しいことをやっている作家さんが多かったんです」

――今も土は瀬戸のものを使っていると伺いました。

 

「土にもグレードがあって、グレードがあがるほど不純物はなくなります。でも、僕が使っているのは、瀬戸でも普段使いの雑器の生産などに使われる土で、不純物が入っているクセのある土なんです。僕の場合は、むしろそこに惹かれて、今でもずっと使っています。それに、自分が瀬戸で学んできた証を残したいという気持ちもあって」

――初期の頃と今では、作品に違いはありますか?

 

「最初の頃は自分の価値観が定まっていなかったので、手を動かしながら、ひたすら作っては壊すの繰り返しでしたね。ダイナミックなものだったり、テクスチャーが全面に表れているものだったり、器単体で自己主張が強いものを作っていました。たぶん、当時は自分の中でそういったものがカッコいいという思い込みがあったんだと思います。でも、料理を作る方に実際に使ってもらったり、イベントを行ったりする中で、意識が変わっていって」

――使う人に意識が向いたということでしょうか?

 

「そうです。ガラッと自分のモノづくりの形が変わりました。まず、器の見込みの部分をすごく大事にするようになりましたね。以前は当たり前のように全面に加飾したり、見込みが窮屈な器を作ったりしたので、フォルムやデザインは随分変わったと思います」

――確かに、すごく素敵なお皿でも、実際に使いづらいと、いずれ使わなくなってしまいますね。

 

「この点はなかなか難しいところで、実際に家で使ってみないとわからないんですよ。ここ数年は食器の仕事に従事しているので、やっぱり“使う”ということに意識が向きますね。生地から作っているので、あまりカッチリしすぎず、テクスチャーを残すようにはしています。少し歪んでいるものもあるのですが、そういう部分こそ大事にしたいんです」

――サインは入れないのですか?

 

「昔は見えるところにでかでかと入れていました(笑)。でも今は、実際に使ってもらって、手で僕の作品だということがわかってもらえればいいかなと。にじみ出るくらいでいいと思っています」

――今のご自身の作品の特色はどういう部分だとお考えですか?

 

「見ての通り、あまり主張しないことだと思います。フォルムを簡潔に仕上げるというか。試行錯誤して主張の強いものを作っている時からすると、どんどん削ぎ落していったのですが、ディテールに自分らしさを残してはいます。僕レベルでしかわからないことかもしれないですけど」

――ディテールも、主張するというわけではなく、個性を出すということなんですね。

 

「ディテールを主張しすぎると、結局使いづらいものになってしまうこともあって。たとえば、口の部分が剃刀のように尖っていたらシャープでカッコいいなと思っても、実際に使ったらすぐに欠けてしまったり、洗ったときにスポンジが引っかかってしまったり。やっぱり使ってわかることが多いので、そういう部分も削ぎ落していきました」

 

――使うことが大前提のうえでも、ひとつひとつに細なこだわりを感じます。

 

「作るものは少量でも、なるべく多くの人に手に取ってもらいたいですね。やっぱり食器は使ってこそ生きてきますから」

Credit
Photo_MURAKEN
Text_Aya Fujiwara