LATEST

「東京の村で見つけた本当のクリエイティブと理想の循環社会」||清田直博 / 檜原村新農業組合

2022.09.09|コラム

 

きれいな川の上流には上品な人たちが住んでいる

収穫作業後、清田さんのお宅にお邪魔した。築100年以上という立派な日本家屋で、腕利きの大工が暮らしていた住居だという。躯体にわずかに見られるゆがみは、約1世紀も陽の光にさらされて発生した木材の収縮によるもの。不均衡だが、清田さんはそこに自然の美しさを見た。

内装はリノベーションで多くの壁を除去。イラストレーターの奥様が使っている道具や、保育園に通う長男・長女の遊具が置かれていた。

 

──どうしてここに引っ越しを?

 

「ライフステージの変化ですね。越してきたのは、2016年夏。その年初に長男が生まれ、妻と『これからどうする?』と話をしました。それで『そろそろ自然のあるところへ行こう』って。」

「2人ともアウトドア好きでしたし、震災後に5年ほど東北の被災地での復興支援で農業の手伝いをしていたので、いつかは自分も農業に携われる環境にいたいと考えていたんです」

──それで檜原村に。

 

「ただ、これまで拠点のあった東京とは完全に切り離せないのも現実で。都心から1時間程度で行ける50km圏内で『いい感じの田舎』を探したんです。それで檜原村を知りました」

 

──他にも50km圏内の田舎はあるように思えますが、檜原村に決めたのは?

 

「川の水がきれいだったから。僕、きれいな川の上流に住んでいる人ほど、上品な人だと考えているんですよ。上流にいる人たちが川を汚していたら、下流はもっと汚くなって生活できなくなってしまいますから」

「それに澄んだ空気もうまい飯も、全部そろっているんです。都心で子供を育てていたら、大変だったんだろうなと想像しますね。特にこのコロナ禍、ずっと部屋の中にいなくちゃならないとなったら。ここは土地も広いので、それほどストレスを感じませんでした」

 

清田さんは表参道でギャラリーカフェを運営後、ライター、エディター、デザインディレクターとしてクリエイティブ界隈で名を馳せた屈指の"シティボーイ"だった。自転車で東京の夜の街を走るグループライド「Night Pedal Cruising」の主催や、博報堂『恋する芸術と科学ラボ』のメンバー、一般財団法人Next Wisdom Foundationの研究員など、東京を拠点に幅広い領域で活躍。現在もそれら都心の仕事を継続している。

──都心へはどれくらいの頻度で行ってますか?

 

「コロナ以前は週の半分くらい。今はケガの功名といえるのか、オンラインミーティングの浸透によって最近はリモートワークのボリュームも増え、東京へは週に1度あるかないか、ですね」

「檜原村に来る前から繋がりのあった仕事仲間やクライアントの案件を継続していて、新規の仕事は受けていません。収入の半分以上はその都内での仕事から得ているのですが、時間の大部分は麦わらストローや畑作り、村での仕事などに充てています」

 

──こちらでのお仕事の内容は?

 

「檜原村役場から『役場で働かないか?』というお誘いをいただき、引っ越しを決断しました。現在は檜原村役場産業環境課観光係で非常勤職員(会計年度任用職員)として週二回ほど勤めています。村の観光や情報発信に関連するなら何やってもいいというようなスタンスの契約ですね。具体的には観光PRムービーをプロデュースしたり、イベントプラットフォーム『Peatix』を使って農業体験イベントを開催したりしています」

──観光PRムービー、拝見しました。普段は渋谷や原宿にいそうな女の子たちが村に遊びに来たというような内容で、今の時代感が反映された映像でしたね。Peatixの活用も今の時代らしい動きだと思いますが、役場の同僚はどういう反応をされているんでしょうか?

 

「どうなんでしょう。やはり村に残る若者は少なく、役場の人たちの年齢層も高めなのですが、まだ叩かれてはいないので大目に見てくれているのかな?(笑)」

 

──東京でバリバリやっていた清田さんがやってこられたというのは、村としても大きな変化となったのでは?

 

「そうだといいのですが。『なにか新しいことをやってくれそうだ』との期待もしてもらっていると思うので。もともとクリエイティブの仕事をやってきましたから、その能力を使って檜原村の魅力を広く伝えていきたいと考えています」

 

 

1 2 3 4
Credit
Photo_MURAKEN
Text_Hiroyuki Yokoyama